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命を大切にするとは何か? ひいては、命を大切にしないとは何か? 『ウテルス』を観てそうしたことを考えない人はいないだろう。
一方の極には、人権擁護や健康道徳、さらに(フーコー風にいうなら生政治に相当する)生命を管理する社会秩序がある。命の問題がしばしばシンプルな健康促進を超え、政治や正義に接続されることが示すように、生命至上主義もまたシンプルな善であるとは限らない。ときには生命至上主義が人間を不自由へと閉じ込めることも、ある種のえこひいきに基づいて語られることもある事実は、現代人なら誰もが知っているだろう。
もう一方の極には、そうした疎外を嫌って自由を求め、闘争し、本能のままに生きたい欲求がある。死の気配、死の可能性は生の輪郭を際立たせ、生命至上主義社会の盲点を突く。ほんの数十年前までは、日本もそうした社会ではなかったか?だがそれはひとりひとりの命を無碍にし、紙切れ一枚のように軽んじる社会でもあった。
この両極のあいだで主人公・花丸と彼(彼女)を取り巻く社会動向が揺れるさまが、エッジの利いた舞踊や演技をとおしてときにはユーモラスに、ときには鋭く表現される。(演劇は)身体的なメディアだから、表現には得体の知れない、というより神秘的な力が宿っている。その身体をとおして出る力と舞台演出や脚本の力が支え合って成すハーモニーが、たまらない。
観劇者が『ウテルス』から受け取れることは他にもまだまだあろう。が、それは是非観劇して自分の目で確かめていただきたい。どうあれ、躍動する命が表現されていると感じること請け合いである。






































